今回(2003年9月18日(木)にハリケーン”イザベラ“がノースカロライナの東海岸に上陸した。この地に住んでいる間に一度はハリケーンとはどんなものか経験したいと思っていたが、各地で大きな被害をもたらした。今回当地は幸運に恵まれ被害は最小限だったが、二度と来て欲しくない。この前後に得た経験を下記にまとめてみた。
感想;強さそのものは当地では秒速27メートル程度で恐怖を感じるものではなかったが、移動速度が時速20マイル程度と遅かったのと暴風圏の広かったため中心が通過後7〜8時間も強風が続いたのには驚いた。当地は幸いハリケーンの中心より西側に位置したため、大きな被害を免れたが東側となったOuter
BanksやVirginiaの人達には気の毒だった。ハリケーンの襲来前後の状況は随所にアメリカらしさを認識させてくれた。
A.ハリケーンの定義
ハリケーン〔hurricane〕とは、西インド諸島の大西洋側およびメキシコ湾などに発生した熱帯低気圧が、最大風速63ノット〔約秒速33メートル時速74マイル〕以上に発達したもの。なお、日本で言う熱帯低気圧に相当するTropical Stormの定義は最大風速34ノット〔約秒速17メートル、約時速39マイル〕以上でハリケーンに至らないもの。
ハリケーンにはその強さによって、カテゴリー
1〜5までの段階があり、5が最も強力。今回のイザベラは、当初カテゴリー“5”と言われていたが、上陸時にはカテゴリー“2”になった。
各カテゴリーの範囲は“1”風速74〜95Mile/hr,“2” 風速96〜110Mile/hr,“3”風速111〜130Mile/hr,“4”風速131〜155Mile/hr,“5”は155Mile/hrを超えるもの。(1Mile/hrは0.447Meter/sで1分間の平均風速で判断する)
B.上陸前
約10日前から、ハリケーンがノースカロライナを直撃するとの情報が流れ、1週間前には当地、Morehead、が上陸地になると言われ出した。このころから、避難計画を立てる人が現れた、学校でこのような話を聞いてきた妻は若干パニック。12日にスーパーに通常の買出しに行ったが、水・単一/単二の乾電池が売りきれになっていたので当方も準備をしなくてはいけないのかと思って、とりあえず食料を保存の利くもの中心にした。また、テレビでは発電機や燃料、窓に張る合板を買う人の姿が放映されだした。
14日には近所で窓に合板を張った家が出現、隣家も張る準備を始めたので、当家もまじめに対応を考えだした。
まず、調べたことは、過去に居住区が水に浸かった経過があるかどうかで、浸かったことがないというので一安心し、事前避難は行わないことに決定。 次に、どのようなものを準備するかを調べた。家にいる場合と家が壊れてどこかに避難する場合との両方を考えた。考え方は、日本での台風の場合と同じ。しかし、日本と勝手が違う点もいくつかある。
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アメリカは停電の復旧速度が遅い(最低3日は停電を覚悟しないといけない)
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当家は井戸水を使っている
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ガスがない
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避難場所へは車がないと行けないほど遠いので避難は車が前提
結局、用意したのは、
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水(これはボトル入りのものは売りきれのため、入れ物を用意して、ハカリ売りを買った----これは、値段がボトル入りの半額で“正解”)、
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乾電池(これは1ドルショップで買ったが、ここは客に電池があることが余り知られておらず、穴場で値段も安くこれも“正解”)
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目張り用ダクトテープ(窓枠と窓の隙間からの雨の浸入防止用)
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耐水性縛り紐(特に使用目的はなかったが、漠然とあればいいかと思った)
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ナイロンのテーブルクロス(これは風呂敷代りで、避難するときに必需品を包む)
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氷 (停電時の冷蔵庫内保冷用)
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ガソリン(停電時にはガソリンスタンドのポンプが動かなくなるので)
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現金(停電時や電話不通時にはクレジットカードや小切手が使えなくなる)
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フロア-マット (厚み2cm程度のスポンジで長さ1.8m;避難所では体育館の床に寝さされるので)
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毛布(避難所用)
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タオル、バスタオル
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常備薬(風邪,ケガ,胃腸薬等)
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着替え(1.5日分)
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雨具(カッパ、傘)
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卓上ガスコンロとガスボンベ(鍋料理用に日本から持って来ていたもの)
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懐中電灯、ラジオ、ローソク、ライター
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缶詰・瓶詰め食料
このほか、パスポートや貴金属を雨に濡れないようにして手荷物として用意。 また、友人が上陸前日(17日)になって、6,000Wの発電機が余っているというので貸してくれた。これは、非常に気分的な余裕をもたらしてくれた。------これで、最も心配していた停電の対策ができた-------感謝。
会社の方は、総務・人事担当が16日中にハリケーンの諸注意を作って配ったが、当人はその後、サウスカロライナに避難してしまった。日本では、総務・人事担当はぎりぎりまで残って戸締り等の最終確認をするのに。また、ペンシルバニアなどから来ていた長期出張者も帰ってしまった。とにかく、身の安全が第一とのこと。17日午後3時頃に上陸当日(18日)は休業との連絡があり。
テレビは17日午後から本格的に警報を流し出した。インターネットの情報も充実しだした。インターネットはWeather
Channel (www.weather.com)のほかNational Hurricane Centerのサイト(www.nhc.noaa.gov.)が参考になった。
17日夕方7時または風速60Mile/hr以上になれば、
外洲にあるアトランテックビーチとの連絡橋が閉鎖されると情報が出、洪水の被害を受けそうなところとMobile
Homeの居住者には避難勧告が発令された。同時に避難所(主に学校)が開放された。
C.上陸
夜10時頃から風が強くなり雨も降り始めたが、特に異常を感じる程ではなかった。
テレビは避難勧告、ハリケーンの現在位置、学校や公共機関の閉鎖予定などを繰り返し流していた。当方はWeather
Channelを中心にみていたが、いつもより頻繁にコマーシャルが入るので、“さすがアメリカの商業主義”と感心させられた。
11時頃に最も激しくなるのは、18日昼頃との判断をして就寝。
18日は朝からテレビとインターネットで状況を監視。午前10時頃には上陸地点がMoreheadより北東のCape
Lookout付近になるとのこと。風速はこの時点で45Mile/hr(20Meter/s)程度,雨は激しいが土砂降りと言うところまでは行かない。
この時点でチェックしたWeather Channelの7:53AMの画像(右)からみると撮影の時点から2時間経過しており、74Mile/hr(33Meter/s)以上の暴風圏に入ったはずだが、家の周りとはかなりの差があるので安心した。
12時頃になると風が強くなり60Mile/hr(27Meter/s)程度とのこと。この時点での向いの木が大きく揺れていた。
1時過ぎにCape LookoutとOcracokeの間に目が上陸したとの情報。進路は北北西で時速20
Mile/hr(32Km/hr)の進行速度とのこと。あと2,3時間でハリケーンの影響が無くなると思ったが、夜9時ごろまで、断続的に風が続いた。風が止んでいる間に家の回りの被害状況を調べたが、屋根のタイルが数枚飛んだのといくらかの枝が折れた程度。8時頃から知り合いに安否確認の連絡を入れるが、西隣りの街は朝から停電や電話が不通になっているとのことで、当地が一番被害が少なかったらしい。
D.通過後
翌朝は晴れていたが、テレビを見るとOuter
BanksやVirginiaではかなりの被害が出ているとのこと。学校関係は休みになっていたが、会社からは連絡がなかったので行ってみた。電気が来ないので休業にするとのこと。会社の前に人が10人ぐらい集まって各自の家の報告をしていた。この中に製造課長がいたので工場の被害状況を聞いたら、自分はまだ工場に入って点検していないので様子を知らないとのこと、横にいたメンテナンス担当者が破損や雨漏りは無かったと説明してくれた。製造課長が工場内の状況を確かめずにダベッテいる仲間に入っているなどとても信じられない----個人の問題か文化の違いか今後要チェック。
家に戻ってから庭の清掃をし、その後海岸まで様子を見に出かけた。殆ど被害のようなものは見かけられず、砂浜には、写真のような風紋ができていたし、既に、日光浴をしている人もいた。
Outer
BanksやVirginiaからは避難していた人達が自宅に戻るにしたがって詳しい被害情報が入ってきているが、この近辺では想像もできないほどひどいもので、ハリケーンがここの東側を通ってくれた幸運に感謝する次第。
9月24日追記。
USフロントラインの中に、アメリカらしいイザベル通過後の記事“復旧の遅れに怒り募る〜「イザベル」去っても死者が出る”が出ていたのでリンクを貼りました。